戦国時代、使番は、戦場で主君の警護をする傍ら、単騎にて本陣と前線の各部隊との間を行き来し、意思疎通、命令伝達を行い、また平時においては、他国との外交交渉を担ったり、領地の巡視などをしていました。
寛政重修諸家譜によれば、我らの家祖には、犬塚平右衛門藤原忠次 という英雄がいました。彼は、徳川家康、秀忠に仕え、武田信玄軍や豊臣秀吉軍などと戦い、関ケ原の戦いにも参戦しました。また、二条城、彦根城、江戸城の普請にも尽力し、そして、【慶長國繪圖】という日本全国の基本図と土地台帳を編纂しました。
このホームページは、彼を中心に家系の広がりを調査し、我々の祖先が、どこから来たのか、そして彼の子孫が、どのように生きたのかを調査、それらを記録したものです。