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戦国時代、使番は、戦場で主君の警護をする傍ら、単騎にて本陣と前線の各部隊との間を行き来し、意思疎通、命令伝達を行い、また平時においては、他国との外交交渉を担ったり、領地の巡視などをしていました。

寛政重修諸家譜によれば、我らの家祖には、犬塚平右衛門藤原忠次 という英雄がいました。彼は、徳川家康、秀忠に仕え、武田信玄軍や豊臣秀吉軍などと戦い、関ケ原の戦いにも参戦しました。また、二条城、彦根城、江戸城の普請にも尽力し、そして、【慶長國繪圖】という日本全国の基本図と土地台帳を編纂しました。

このホームページは、彼を中心に家系の広がりを調査し、我々の祖先が、どこから来たのか、そして彼の子孫が、どのように生きたのかを調査、それらを記録したものです。

更新情報
2024年9月8日

忠世の説明を更新しました。忠世が日本橋通り壱丁目(現在のコレド日本橋)付近で屋敷を所有し、賃貸していたことがわかりました。

2024年8月12日

「史料」に掲載されている文字の大きさを大きくしました。

2024年7月8日

史料に「善仁寺の歴史とご住職(青山家)の家系をアップしました。

2023年11月23日

家系図の「忠次」の記述を変更しました。

2023年11月23日

「史料」の中に「忠次が建てた二条城」と「忠次が造った彦根城」をアップしました。

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