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戦国時代、使番は、戦場で主君の警護をする傍ら、単騎にて本陣と前線の各部隊との間を行き来し、意思疎通、命令伝達を行い、また平時においては、他国との外交交渉を担ったり、領地の巡視などをしていました。

寛政重修諸家譜によれば、我らの家祖には、犬塚平右衛門藤原忠次 という英雄がいました。彼は、徳川家康、秀忠に仕え、武田信玄軍や豊臣秀吉軍などと戦い、関ケ原の戦いにも参戦しました。また、二条城、彦根城、江戸城の普請にも尽力し、そして、【慶長國繪圖】という日本全国の基本図と土地台帳を編纂しました。

このホームページは、彼を中心に家系の広がりを調査し、我々の祖先が、どこから来たのか、そして彼の子孫が、どのように生きたのかを調査、それらを記録したものです。

更新情報
2024年12月12日

史跡表示板が菩提寺に設置され、その内容をアップしました。史料・調査結果をご覧ください。

2024年11月29日

墓石位置と菩提寺の内容を更新しました。

2024年11月29日

家系図の「三河国東蔵前村 天神社社人 加茂彦九郎の娘」をアップしました。

2024年11月29日

家系図の「忠次の妻、赤羽殿」の記述を更新しました。

2024年11月26日

「久我一族の菩提寺」を資料・調査結果にアップしました。

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