ウキペディアによれば、元禄2年(1689年)、前中納言久我通名の娘として生まれる。は貞子、通称は冬姫

元禄15年(1702年)に仙台藩世子・伊達吉村との縁談が持ち上がる。父の通名はこの時すでに出家の身であったため、冬姫は叔父・久我通誠の養女として嫁ぐことになった。2月27日に幕府から結婚の許可が下ると、3月18日に京で結納の儀を済ませ、4月3日にp吉村の待つ江戸へと出立、21日に江戸へ到着し、26日に婚儀が行われた。

翌元禄16年(1703年)、夫・吉村が第5代藩主に就任すると、その正室として以後40年間にわたって仙台藩の奥を統括した。冬姫は仙台藩主の正室で最初の公家出身者であり、冬姫の代に整えられた風儀がその後の仙台藩の奥方における手本とされるようになるが、この奥方における改革は表方(藩政)における夫・吉村の改革に対応したものと見られている。

吉村との間に第6代藩主となった宗村など1男5女を産む。延享2年(1745年)7月20日死去。享年57。墓所は大年寺。法名は長松院殿法寿元栄大姉。

久我通名の娘の冬姫は、奥州伊達家5代当主「吉村」の正室になった。

冬姫像(仙台市博物館蔵)

大年寺に向かう山門
山門から、かなり長い石段が続く
石段を登り切った所から山門を覗く
大年寺に続く道から石段を振り返る
大年寺に続く道、緑地の公園になっている
大年寺入口、墓所は更に奥にある
大年寺の脇を抜け、鉄塔を左に過ぎた奥に墓所がある
急に開けたところに「仙姫桜」があり、墓所「無尽灯廟(むじんとうびょう)」は、この右奥
左手の鉄の門が無尽灯廟です
地震で灯篭が倒れたので中に入ることはできませんでした
左奥から二つ目が冬姫の墓石