き乃 (1867年生れ、1937年没)

き乃は、「忠親」の妻です。善仁寺に「忠親」と共に眠っています。

「き乃」に関することが、「東平」の自叙伝に書かれていました。それによれば、「亀」の長男「喜一」に縁談を持ってきたのは「き乃」だったそうです。

以下「東平」の自叙伝を原文のまま、関連するところを抜粋します。

「此後六月か七月頃お母さんが、突然朝、脳溢血の発作を起こし大騒ぎになり、直ちに近所の病院に入院させた俺の大坂行きを止めさせたのも、こうゆう事の暗示かもしれない、それでも、半年間位で自分一人で、歩けるようになり一応退院した、此間親父は毎日天理教にいって、当人の言ふ丈の人助け運動をしていた、ところが、お母さんは、やっと自分の用だけ、出来るだけで、朝、昼、晩の飯の仕度が親父と俺の仕事になってきた、朝の味噌汁の実なんか、家の筋向かいがハ百屋であったので、タマネギを買って家へ帰る途中で皮をむきながら、帰った事を思い出す、兄貴の喜ーは、親からの嫁の話は一切受付ず何かあった様だった、ところが、「縁」と言ふのは判らないもので、普段行き来もしてなかった、前述の忠親の未亡人が話を持ってきたので、やっと我々も炊事には助かった・・・」

当時、「忠親」やその妻「き乃」は、今の六本木付近(仲ノ町や市兵衛町2丁目)に住んでいましたが、一方、その弟の「亀」は、深川大工町に住んでいたので、普段の行き来はなかったようです。