第4代 重世(1589年生まれ、1655年没)

4代は「重世」、通称は「平右衛門」、「小善次」です。13歳の時に「台徳院」(徳川秀忠)に小姓として仕えました。 寛永2年(1625年)7月27日に下総國匝瑳郡(千葉県匝瑳(そうさし)市)に500石の知行地を与られました。秀忠、家光に従い3年間の京都滞在を経て、寛永8年(1630年)4月10日に御納戸となりました。

「大献院」(徳川家光)に仕えて寛永10年(1633年)4月10日に御膳奉行となり、6月3日に相模國愛甲大住郡にさらに200石の知行地を与えられ合わせて知行地は700石となりました。寛永19年(1642年)11月1日に江戸城二の丸に出仕の時、家光の御勘気を被り、慶安4年(1651年)10月17日に赦免になるまで、閉門を命じられました。不遇が約9年間続いた様です。(同年の4月に家光が死んだので赦免になったと思われます。)

お茶の水大学大学院人間文化研究科の福富真紀と言う方が、【近世前期御小姓組番支配の一考察】という研究をされており、偶然にもその中に「重世」とその子「忠世」に関する記載があります。

「重世」は明暦元年(1655年)9月28日に亡くなり、享年66歳でした。法名は「宗休」です。

「重世」は、12番の墓石に眠っています。戒名は光照院殿釋宗休です。

「重世」以降、犬塚家の菩提寺は代々文京区小石川の善仁寺となります。「重世」から私の祖父である「東平」まで、墓石は善仁寺に現存しています。