9代 忠暉(1752年生まれ、1774年没)

9代「忠暉」(ただあきら、或いは、ただてる)、通称「勝五郎」でした。「忠曉」には家を継ぐ子供がいませんでしたので、齋藤次左衛門利武の三男を養子にしました。明和6年(1769年)10月15日に将軍である浚明院(徳川家治)に拝謁し仕えました。しかしながら、「犬塚忠暉」は安永3年(1774年)8月16日に父親である「犬塚忠曉」よりも先に亡くなってしまいました。享年22歳でした。墓石7番で眠っています。