細川忠隆が、慶長10年(1605年)から同14年(1609年)に京都に滞在していた時に千世との間に生まれた4子女、徳、吉、福、万のうちの一人。徳は後に左大臣・西園寺実晴室、福は後に久世家初代・通式室。