久我一族の菩提寺

久我一族の菩提寺

「中臣鎌足へ(忠休から父系を遡る)」で解説しました通り、九代目当主「忠休」は、「堀川家」から養子として犬塚家に来ました。実父である「堀川広益」は、「久我通名」の子供なので、「久我家」の菩提寺について調べてみました。

久我家の菩提寺は、京都の大徳寺の塔頭(たっちゅう)清泉寺にあったことがわかりました。また、明治時代に清泉寺は、三玄院に合併されていたこともわかりました。

三玄院の山門

子孫であることから、特別にお許しを頂きお墓参りをさせて頂きました。三玄院の墓地には、久我家代々のお墓がありました。残念ながら経年により墓石の大半は、そこに刻まれた文字が判読不明でした。

また、同じ大徳寺内の塔頭である興臨院にも久我大納言夫妻のお墓があり、こちらでもお参りをさせて頂きました。私の記憶が正しければ、「久我通堅」夫妻のお墓であったと思います。

興臨院

興臨院のお庭