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忠次が造った彦根城



白峰旬著「近世城郭史の基礎的研究」に彦根城築城に関する次の記述があります。

彦根城(慶長9年7月~同11年頃)1604年~1606年

慶長六年、井伊直政は関ケ原の戦いにの功により、上野高崎から六万石加増されて十八万石で近江佐和山に移封された。直政は、同磯山への新規築城を計画したが、翌年死去したため、後事を託された重臣の木俣守勝が、後継の井伊直継を補佐して、新規築城の立案に携わった。同八年、守勝は、伏見に在城していた家康のところに行き、上意を伺った上で築城地が彦根に決定した。そして、翌九年(1604年)、「新城の絵図」を家康に呈上して許可され、普請が行われることになった。同年七月から普請は開始されたが、「佐和山御普請衆」への扶持米の廻米について三河の代官に伏見城留守居奉行が連署して指示していることや普請中に家康が小澤忠重を派遣していることから彦根城普請は家康の監督下で行われたと考えられる。公儀普請奉行は、細野右近大夫・佐久間政実・山城忠久・犬塚忠次・山本重成・妻木頼忠であった。(中略)同11年(1606)には天守も完成したことから、この頃には城郭の主要部分も完成したことと考え有れる。



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