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幕府の諸家系図編纂

【江戸幕府が整備した諸家系図】

江戸時代の犬塚家の家系を調べる重要な資料は、善仁寺に実在する墓石群と江戸幕府が実施した諸家系図です。善仁寺の墓石と諸家系図を突合することで、ご先祖が確かに実在したことを実感できます。

江戸幕府は、大規模な系譜整備を2度行っています。最初は「寛永諸家系図伝」であり、2度目は「寛政重修諸家譜」です。

「寛永諸家系図伝」は、家光の命によって1641年(寛永18)から着手され、2年後の1643年(寛永20)に完成しました。その手法は、諸家に素材資料となる系図や証拠資料を提出(これを呈譜という)させ、それらを林羅山らの儒学者や五山の僧侶等が吟味したようです。総数は186巻、総収録数は1,400家です。記述内容は、先ず家系が源氏、平家、藤原、諸氏のいずれの流れであるのかで4区分されています。編纂期間が僅か2年間だったので呈譜された系図等をそのまま採用したと考えられています。そのため、約170年後の2回目の編纂「寛政重修諸家譜」に比べて正確性や客観性はあまりないと考えられています。

「寛政重修諸家譜」は、堀田正敦が1799年(寛政11)に編纂を開始、13年後の1812年(文化9)に完成しました。最初は「寛永諸家系図伝」の続編を作る予定でしたが、「寛永諸家系図伝」の内容では不十分であるとされ、「寛永諸家系図伝」の内容を修正という意味から「重修」の文字が加えられ、また寛永以降の諸家譜を編纂したという意味で「寛政重修諸家譜」という書名になったようです。編纂には「譜牒余禄」と「諸家系譜」が資料とされたそうです。「譜牒余禄」は、「武徳大成記」を編纂するために、家康から家光の間の家伝、家系譜などの記録を諸大名、幕臣、庶民から提出させた史料「貞享(じょうきょう)書上」を一つに纏めたものです。

「諸家系譜」は、1791年(寛政3)から1799年(寛政10)の間に万石以上の大名と万石以下御目見以上の旗本に提出させた「寛永諸家系図伝」以降の家系譜です。

よって、「寛政重修諸家譜」の史料は、寛永以前のことは「寛永諸家系図伝」と「譜牒余禄」であり、寛永以降のことは「諸家系譜」でした。ただし、「寛政重修諸家譜」で新たに書き加えられた部分は、家柄をより良く見せるために改竄(かいざん)された可能性もあるので、「寛永諸家系図伝」との慎重な照合が必要と考えられています。

(ウィキペディア参照)

犬塚家でも当時当主であった「犬塚平右衛門忠休」が諸家系譜を作成し、幕府に呈譜しています。それは、コチラからご覧になれます。なお、オリジナルは、国立公文書館デジタルアーカイブ、コチラで閲覧できます。また、「寛政重修諸家譜」は国立公文書館デジタルアーカイブ、コチラからご覧になれます。また新版は、国立国会図書館デジタルコレクション、コチラで閲覧できます。

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