日本人物体系によれば、
犬塚歯科医院長、歯科医師、東京府在籍
氏は、東京府人犬塚忠親の長男で、明治25(1892)年12月東京市麻布区に生まれ、明治38(1905)年6月に父「忠親」が亡くなり、13歳で家督を継いだ。早くから専門医学の研鑽を積み、大正8(1919)年10月27歳で満洲に渡り、満州鉄道に入社し大連医院に勤務する。大連医院で約5年間、歯科学の研究に従事し、大正13(1924)年32歳の時に文部省歯科開業試験に合格、同年に満州鉄道を退職して独立し、大連市に犬塚歯科医院を開業、一般診療に従事した。【家族】妻:マツヱ、明治37(1904)年生まれ、長崎県、田村秀太郎の娘、長男:健、大正13(1924)生れ、長女:康枝、昭和1(1926)年生れ、次男:徹、昭和3(1929)年生れ、【住所】大連市西通52電2 1058