2代は「正忠」、通称は平右衛門、「忠次」「定長」「七蔵」という名もありました。東照宮(徳川家康)に仕えて、三河国の合歓木村(ねむのきむら)に居ました。墓石もこの付近に有るのかも知れません。享年70歳、法名は「宗句」でした。