4代は「重世」、通称は「平右衛門」、「小善次」です。台徳院(秀忠)にお仕えし御小姓であった時、寛永2年(1625)7月27日 下総国西郡の内において采地500石の御朱印を頂きました。寛永3年(1626)(秀忠と家光が)上洛された時それに従い、寛永8年(1631)4月10日御納戸となり大猷院殿(家光)にお仕えしました。寛永10年4月10日御膳奉行に転じ、6月3日相模国愛甲大住両郡の内において200石を加えられ、すべて合わせると知行地は700石になりました。寛永19年(1642)11月1日より二ノ丸勤めとなり、その後故あって御勘気を被り、慶安4年10月17日赦免され、明暦元年9月28日になくなりました。享年は66歳、法名は宗休、小石川の善仁寺に葬られ、それ以後、善仁寺は代々の菩提寺となりました。妻は蒲生飛騨守家臣梅原弥左衛門某の娘でした。
お茶の水大学大学院人間文化研究科の福富真紀と言う方が、【近世前期御小姓組番支配の一考察】という研究をされており、偶然にもその中に「重世」とその子「忠世」に関する記載があります。
「重世」は、12番の墓石に眠っています。戒名は光照院殿釋宗休です。