7代「忠倫」、通称は「平右衛門」、「真之丞」です。「喜八郎」という兄がいましたが、早世したため「忠倫」が正徳3年(1713年)4月23日に家督を相続し、同年5月20日に将軍である有章院(徳川家継)に拝謁しましたが、享保1年(1715年)8月に将軍が徳川吉宗に代わりました。享保3年(1718年)3月16日より小姓組に列しました。享保9年(1722年)11月15日より江戸城二ノ丸に出仕し、享保10年(1725年)6月1日から西ノ丸の御書院番になりました。「忠倫」は延享4年(1747年)11月30日に亡くなり、享年68歳でした。法名は「一歩」、墓石2番で眠っています。戒名は不遠院殿釋白道一歩です。