彦根犬塚家元祖 犬塚正長 通称:三十郎 求之介
母 酒井雅楽助正親妹
永禄十二年(1569年) 月 日生
寛永二十年(1643年)二月二日卒
享年七十五才(数え年;以下同)
法名:無量院殿淨譽清安禪定門
正長室 松居武太夫清易女 名:不詳
元亀二年(1571年) 月 日生
慶安元年(1648年)三月十五日卒
享年七十三才
法名:榮性院殿安譽壽慶大姉
「犬塚三十郎正長」(求之介)は、井伊家の家臣になって関ヶ原の戦いで、主人井伊直政に従い武功をたて、これ以降、井伊家の犬塚家は1500石の用人役(家老・中老に次ぐ地位)を代々努めました。「正長」の赤備えを身につけた雄姿は、井伊家に伝来する「関ヶ原合戦図」の屏風絵の中で直政近くに描かれています。
「花の生涯」の中に登場する「犬塚外記」は求馬之介の子孫です。
以下は、彦根歴史研究の部屋からの引用
<引用開始>
犬塚求之介正長は、「由緒帳」「貞享異譜」によると、生国は三河で、父は旗本の犬塚太郎左衛門正忠、兄平右衛門忠次がその跡を継いで旗本の家として存続している。正長自身は箕輪で召し出されて小姓・小納戸役を務めた。関ヶ原合戦時には武功を挙げた褒美として、直政から緋縅の具足を拝領したという。
兄犬塚忠次は旗本で、『寛政重修諸家譜』にも記される。普請奉行を務め、彦根城築城時にもたずさわったとある。 慶長七年(1602)の分限帳では、犬塚三四郎として700石取と記される。 <引用おわり>
ただし、上記の「犬塚三四郎として700石取と記される」の犬塚三四郎は、正しくは「犬塚三十郎」です。
「井伊家 犬塚求之介正長 の子孫」の方からご提供頂いた下記家系図を2つ掲載致します。