「犬塚忠次」の妻は、史料によれば「赤羽殿」(松井家譜) と呼ばれ、石川右馬允康正の側室「加茂彦九郎」の次女と書かれています。一旦、松井松平周防守康親の養女となってから、忠次に嫁いでいます。
石川家は、徳川家草創期の筆頭家老である名門の家柄です。その当主は、石川清兼 ⇒ 康正 ⇒ 数正 と続きます。特に、石川数正は、家康を扱う時代劇には必ずと言ってよいほど登場する人物です。
赤羽殿の法名は、 「称讃院殿釋尼妙慶大姉」(松井松平家御家譜)、卒年は 「寛永六年(1629)六月十九日」です。(松井家譜・松井松平家御家譜) 享年・葬干地 は共に不詳ですが、享年は69歳前後と考えられます。
赤羽殿が養女となった松平周防守家と犬塚家は、この後、深い縁で繋がることになりますが、詳しくは、三河國東蔵前村天神社社人、加茂彦九郎の娘をご覧ください。
ここでは、石川家、松井家、徳川家の相関図だけを載せておきます。