政次郎

八代 犬塚政次郎   

通称:喜三

 母 西尾 治朝晋女 

明治二十五年(1892年)九月十四日生  

昭和四十二年(1967年)五月七日卒  

享年七十六才

法名:瑞雲院殿喜譽大心居士

政次郎室 安居藤平女  名:房 明治三十二年(1899年)一月九日生 昭和三十二年(1957年)二月十九日卒 享年五十九才 法名:瑞光院殿満譽法徳大姉

正道

七代 犬塚正道   

通称:十太郎  

 母 子安左内女

安政四年(1857年)二月三十日生  

明治三十一年(1898年)四月二十八日卒  

享年四十二才

法名:謙譲院殿仁譽守節正道居士

 正道室 西尾 治(治部之介)朝晋女 名:捨、捨留、壽 慶應元年(1865年)正月十九日生 明治十三年(1880年)婚姻      明治三十二年(1899年)五月三十日卒 享年35才 法名:無量院殿徳譽快楽妙壽大姉

正安

六代 犬塚正安  

通称:吉之介 源之亟 

 母 八代吉郎右衛門女 文政十二年十月二十六日卒

法名:妙運智海信女

文化十年(1813年) 月 日生  

慶応三年(1867年)三月十七日卒  

享年五十五才

法名:明壽院殿湖山寛仁居士

 正安室 犬塚求之介忠國女  名:秀 文政二年(1819年)正月九日生 文政九年(1826年)二月二十九日縁組 願之通被仰付候 天保元年(1830年)七月二十九日 未婚卒 享年十二才 法名:智善院妙室惠秀童女

 次室 犬塚嘉膳正其女  名:和佐 文化十四年(1817年) 月 日生 後離別 弘化三年(1846年)閏五月二十八日卒 享年三十才 法名:法性院殿夏月明游大姉

 三室 神崎郡金堂村弘誓寺女  名:御津穂 後離別 

 四室 摂州能勢郡吉野郷士 子安左内女  名:美那 天保九年(1838年) 月 日生 慶応二年(1866年)十一月九日卒  享年二十九才 法名:安子院殿柳水妙智大姉

正陽

五代 犬塚正陽  

通称:留五郎 源之亟 十左衛門 原之亟 外記

号:青山、花月 字:子乾

※實は宇津木弥平太久徹五男

  母 川添氏女 文政二年(1819年)九月朔日卒 法名:寶聚院殿仙峯貞壽比丘尼 享年六十七才

天明五年(1785年) 月 日生  

文久元年(1861年)五月十一日卒  

享年七十七才

法名:小雅院殿青山白雲居士

 正陽室 三浦五郎右衛門高保女  名:婦美

 年 月 日生 明治八年(1875年)十一月二十日卒 享年  才 法名:清操院殿蕙質松心大姉

正盈

四代 犬塚正酉 後改正盈  

通称:十之亟 嘉膳 十左衛門 閑齋

 母 河手頼母良至女

宝暦三年(1753年) 月 日生  

文化八年(1811年)十一月十一日卒  

享年五十九才

法名:寂靜院殿精譽閑齋居士

 正盈室 河手文左衛門良忠嫡女  名:千尾 年 月 日生 享和二年(1802年)三月二十五日卒 享年 才 法名:清照院殿春月慈光大姉

正光

三代 犬塚正辰 

改正泰 後改正光  通称:半三郎 十左衛門

 母 中村加介勝周女

享保十二年(1727年) 月 日生  

明和元年(1764年)十二月十一日卒  

享年三十八才

法名:靜遷院殿寛廣寂潭居士

 正辰室 河手頼母良至女  名:麻 年 月 日生 文化二年(1805年)九月十一日卒 享年 才 法名:理性院殿法室香琳大姉

正昶

二代 犬塚正昶  

通称:源之亟 久太郎 十左衛門 春朝

 母 若林治兵衛妹

元禄七年(1694年) 月 日生  

明和二年(1765年)十月晦日卒  

享年七十二才

法名:覺性院殿自實春朝居士

 正昶室 中村加介勝周女  名:不詳  年 月 日生 安永五年(1776年)十一月二十七日卒 享年  才 法名:惠明院殿常憶令鮮大姉

初代 正印

初代 犬塚正印  通称:鍋之介 隼之介 十左衛門

 母 須田氏女 (嫡母は二世廣瀬左馬将房女)

万治元年(1658年) 月 日生  

享保三年(1718年)六月十四日卒  

享年六十一才(数え年;以下同)

法名:妙境院殿遷譽蘭室道芳居士

 正印室 増田六左衛門晴光女 名:不詳  年 月 日生 天和二年(1682年)八月十九日卒 享年  才 法名:妙光院殿  桂室淨芳大姉

 妾 後昇進 若林治兵衛妹  名:不詳  寛文八年(1668年) 月 日生  延享四年(1747年)五月十八日卒 享年八十才     法名:心相院殿蓮譽妙詮大姉

大學

「犬塚忠次」の次男で松井家の養子になりました。そののち、彼の娘が「犬塚忠世」の妻になります

正忠の妻は、酒井雅楽助正親の妹と言われています。